16Oct
罰が当たる本当の意味はご存知ですか。子供の頃、悪いことをしたら「罰が当たる」と親に教えられた人は多いはず。そもそも「罰」とは何か、誰が「罰」を与えるのか、普段の自分の行動は誰かに見られているのでしょうか。
そこで今回は、スピリチュアル的に理解しておきたい罰が当たる意味について、詳しくご解説していきますね。
罰が当たることは本当にあるの?
「罰が当たる」とは、間違ったことや悪いことをしないための予防策の考え方。では実際に罰が当たることはあるのでしょうか。
罰に対する価値観について
罰が当たるという意味を考える際にまず理解しておきたいのは、何が「罰」で何が「罰でない」のかという判断基準です。たとえば子供の時代に友人に意地悪をした人が大人になって、人間関係が上手くいかないのは「罰」なのでしょうか。
この場合、人間関係が上手くいかないことを悪く受け止めない人にとっては「罰」ではありません。悪いことを日常的にやっている人にとっては、罰には感じられないことが当たり前になっているでしょう。
逆に敏感に物ごとを理解する人なら、少しでも違和感を抱くことがあると、それは自分にとって罰と感じることも。基本的に罰を理解する際に、自分の価値観が土台にあることは知っておきたいですね。
起こるべきことが起こっている
自分が頑張っている時に悪いことが起こった場合、その原因を何かになすりつけたくなることも多いですよね。その際に「罰が当たった」と理解すれば、簡単に納得してしまいます。
しかし罰が本当に存在するのかというと、必ずしもそうとは限らないのです。たとえば他人への思いやりが一切ない人。困った時に周囲から助けてもらえないのは罰が当たったのではなく、その人の性格や考え方が原因になっているので、起こるべきことが起こっただけ。罰はすでに当たっているとも考えられますね。
思いやりのない人は、自然と行動や顔つきなどにも表れていますので、その延長として悪いことが起こるのは避けられないでしょう。それは罰ではなく、自分が作り出したことなのかもしれません。
罰を与えるのは誰か?
幸福な人に突然起こる悲観的な出来事。罰が当たったのかと周囲が思うこともあるでしょう。そもそも罰が当たる意味とは一般的に、神様が自分の行いを毎日チェックしているためで、悪いことをすると神様がその人に知らしめるために罰を与えると考えられます。
しかしスピリチュアルな視点で考えると、罰は神様ではなく、因果応報が関係していること。神様に「罰が当たらないように」と毎日手を合わせてお祈りしても、因果応報を避けられない時はあるのです。
過去に悪い種をまいた人は、将来的にそこから芽が出てしまうという考え方。悪いことをしたら悪いことが自分に返ってくるカラクリは、神様が操作しているのではなく、過去のことから報いや気づきを得るために起こるだけなのです。
神聖な場所での出来事について
神様は個人に罰を与えるようなレベルではなく、もっと高いところから私たちを見ている存在。そのため悪いことをしたら罰が当たると思うよりも、今やっていることが将来自分にどう返ってくるかを考えることが大切です。
しかし場合によっては、神様の気持ちを不愉快にさせてしまうことも。たとえば神社仏閣の花を摘み取ってしまう、ゴミを捨ててくるなど、神聖な場所には神様がいるので罰当たりな行為は存在するでしょう。
スピリチュアルな場所ではとくにマナーを大切に考え、目に見えない力が自分の行動を観察していると思ったほうが安心かもしれません。
罰が当たらない人がいるのはなぜ?
何をしてもよいことしか起こらない人が周囲にいませんか。頑張って働いているのに車の事故にあったり、お財布を落としてしまったり、受け入れがたいことが起こると「罰」が当たったと思いたくなりますよね。
しかし中には罰とは縁のない人がいるため、その意味についても知っておきましょう。
罰が当たらない人を妬まないこと
なぜ自分ばかり悪いことが続くのか…そんな気持ちになると、他人の幸福も素直に喜べなくなりますよね。悪業を働いても、なぜか見逃される人は実際に存在します。そんな人と自分を比較すると、とても損した気分になるのは当然。
しかしスピリチュアルな世界では悪いことをする人は、因果応報までに時間がかかり、さらに泳がされている状態だと考えることもあるのです。
もっと悪いことをさせて、将来大きな出来事をもたらすよう仕組まれているため。今は安定していても、いつ過去の清算時期がやってくるかは誰にもわかりません。
悪いことをしたのに順調に過ごしている時は、逆に大きな罰がいつかやってくることを不安に感じたほうがいいかもしれません。
いい人に罰が当たる意味について
罰が当たる意味は解釈の仕方も色々とありますが、いい人に限ってなぜか悪いことが起こるように見えませんか。それはネガティブな意味ではなく、すぐに悪いことが返ってくるのは改心するチャンスが多いということ。
間違いをすぐに訂正して軌道に乗るため、人生の幸福度は高くなります。すぐに悪いことが起こると感じている人は運が悪い、罰が当たりやすいということではありません。気づきの観点が充実しているため、自分を失わず幸福に向かっている人なのです。
現世で罰が当たらないことはあるか?
スピリチュアルな世界では、現世の魂はそのまま来世へと続き、同じく悪いことも来世に持ち越されることがあります。罰が当たらない人は現世でなく、来世で魂レベルで罰を受けることもあるでしょう。
魂は何度も生まれ変わりますので、長い歴史の間で悪いこともよいこともたくさん持ち越しています。悪いことが蓄積されると魂にも影響があり、現世の自分が間違いに気づき早く修正することが大切。
他人を妬む気落ち、失敗を喜ぶ気持ちなどは、長い魂の歴史でいつか悪い種になる可能性があるのです。
罰が当たらないための心構え
悪いことを悪いと思わない人と、常に正しいことにこだわりを持って生きる人とでは、出来事の解釈の仕方が違います。罰のように見える出来事が起こることは実際にありますが、ネガティブにならないためにも次のような心構えを普段から意識しておきたいですね。
完璧ではないことを知る
正しいことを毎日やっているつもりでも、人間は100%完璧ではありません。そのため悪い出来事が起こった時にどう対処するか、それによってその人の完成度が変わってくるのです。
間違いをしないようストレスを抱えるよりも、間違えを正しく受け止めること。そんな心が、罰の受け止め方をポジティブに変える第一歩になるはずです。
罰を与えるのは自分自身
神様が毎日行動を細かくチェックして罰を決めているのではなく、悪いことを招くのは自分次第です。仕事でミスしたり、友人と喧嘩したりするのは、表面的なことだけでなく物ごとの真髄も考えること。
罰と思わず気づきのチャンスとして理解すると、自分ばかりと否定的になることは避けられます。また自分の価値観と冷静に向き合うことも、人生を幸福に生きるためのポイントに。悪いことは悪いと厳しく自己をコントロールできるように心がけてみませんか。
まとめ
悪いことをしたら罰が当たるという意識は、正しいことをするモチベーションにもできますね。罰が当たる意味をどう解釈するか、自分にとって一番納得できる方法が最善なのでしょう。
くれぐれも他人に罰が当たるよう願うことはせず、間違ったことをした時は必ず後悔して、正しく修正する心の強さは持っていたいですね。